PTAって、“やめます”って言いづらい空気、なんでこんなに強いんやろう。
子どもの体調が不安定で、ただ静かに「抜けたい」と伝えただけなのに――
返ってきたのは「台紙がないかも」という言葉でした。
PTAって“やめます”って言えない空気、何なんだろう あれはたしか、中学1年の3学期。 うちの子の体調がずっと優れなくて、学校も休みがちでした。
毎朝「今日は行けそう?」と聞くのが日課。
行ける日は行く、無理な日は本当に無理。
私も仕事と病院の付き添いでバタバタしてて、正直PTAのことなんて頭になかった。
でも、気づいたら入ってたんですよね、PTA。 入学と同時に“なんとなく”所属してて、毎月の会費も「まあ、そういうもんか」くらいで流してた。
説明を受けた記憶もあまりなくて、「みんな入ってるから」と言われれば、それ以上深く考えない空気があった。
「役員に当たってます」 中学2年の春、学校からの連絡で知りました。
「今年度、PTA役員に当たってます」って・・・
え?出てもないのに?
でもすぐ、「あぁ、あの役員決めの日、欠席してたな」と察しました。
そのときも子どもの体調は不安定で、療養や経過観察が続いていて。
家のこと、親の介護、病院の付き添い……
正直、手いっぱいだったから、 「事情が事情なので、役員は難しいです」と学校に連絡しました。
先生は理解を示してくれて、特にトラブルにもならずホッとしたんですが、 なんかこう、“こっちは配慮してますよ”みたいな空気を、じわっと感じました。
「抜けたい」と伝えたら 中3に上がるタイミングで、思い切って言いました。
「PTAを退会したいです」と。
二年の間も結局不調の波が続いていて、通えない日も多かったし、 何より、役員どうこうじゃなくて、
「在籍してること自体がしんどい」って気づいたから。
でも、返ってきた言葉は、
「卒業証書の台紙がもらえなくなるかもしれません」
「粗品など、皆さんと違う扱いになりますが大丈夫ですか?」
……正直、驚きました。
そこじゃないんやけど、って言いかけたけど、ぐっと飲み込んだ。
さらに、「それでも辞めたい」と言っても、
「本当にそれでよろしいんですか?」
電話越しの声は丁寧だったけど、その“丁寧さ”が逆にじわじわくる。
まるで、やんわり布団をかぶせられて、そのまま動けなくなる感じ。 気づいたら、「あれ、私…引き下がってる?」みたいな空気。
何もされてないのに、負けたような気がしてしまうあの感じ。あれ、何なんでしょうね。
子どもに話してみたら 私は、正直に子どもに話しました。
「もしかしたら台紙がないかもって言われた」 「お花ももらえないかもしれないって」
そしたら子ども、ちょっと笑って言いました。
「え、台紙? なくても別に卒業できるやろ」
「花とかも、誰が気にすんねん」
なんか拍子抜けして、でも救われました。
あぁ、この子の方がよっぽど自由やん、って。 そのひと言で、ずっと背負ってたものがスッと軽くなった気がしました。
でも、学校の判断は「退会不可」でした 担任の先生には、ちゃんと「気持ち」と「事情」を伝えました。 「台紙や粗品がなくてもいい、特別扱いされるくらいなら抜けたい」と。
先生は「わかりました、伝えてみます」と言ってくれた。 でも返ってきたのは、
「校長の判断で、退会は不可。ただし役員は免除」
……なんで?
会費が惜しいわけじゃない。 運営を否定したいわけでもない。
ただ、「気まずい」って思われながら居続けるのがしんどかっただけ。
何度かやりとりはしたけど、結局「覆ることはありませんでした」。
卒業は、無事に迎えられました。
けれど、どこか“逃げ得”みたいに見られてたんじゃないか…そんな空気もあって。
陰口も聞こえてきたけど、私は気にしてませんでした。
ただね、「無理してる人が多いからこそ生まれる言葉」なんじゃないかと思ったんです。
これは“仕組みの話”です 誤解のないように言うと、私はPTAという仕組みすべてを否定したいわけではありません。 実際、関わってくださっている方々の労力や支えが、学校や地域を支えているのも知っています。
だからこそ、“関われる人が関わり、難しい人は選べる”、 そんな柔軟な形があってもいいんじゃないかと思うんです。
私がしんどかったのは、「辞める=特別扱い」という空気そのもの。
誰かを責めたい気持ちなんてなくて、 ただ“選べない空気”に違和感を持たずにいられなかった。それだけです。
最後に、問いかけを PTAって、誰のためにあるんでしょうね?
きっと誰かの善意で回ってる。 でもその善意が、いつの間にか「断れない仕組み」にすり替わっていないか。
もし、自分が同じ状況だったら――。 どこまで“普通”に従えると思いますか?

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